こんにちは、りんごです^^
昨日は夜中までせっせと作業をしていたら
朝全然起きれなくて
目覚ましを止めた事にも自覚がなく
気づいたら遅刻しそうな時間になってました。
なんとか職場には滑り込みセーフ!
焦りました~^^;
睡眠って大事だなってホント、
最近つくづく思います。
今日はちゃんとその日のうちに寝て
明日は早起きしようと思います。
早起きは三文の得!
最近のテーマです(笑)
ところで、さっき何気にネットニュースを見ていたら
来春のNHK朝ドラが決定したんですってね!
タイトルは「わろてんか」
大阪を舞台に笑いの舞台を描くとのことです。
脚本はドラマ「美女か野獣」や映画「僕等がいた」
を手掛けた吉田智子さん!
「毎日が楽しい人も楽しくない人も、
一緒に笑えるドラマを作りたい。
“朝活”ならぬ”笑活”(わらカツ)を
広めていけたらいいなと思います」
と語られているので、どんなドラマに仕上がるのか
とっても楽しみですね!
そして私が気になったのが
ドラマのモデルになった、
吉本興業創設者の吉本せいさん!
今やたくさんの人気芸人を抱える
吉本興業の創設者がどんな人なのかが
気になったので調べてみようと思います!
吉本せいさんの生涯
本名:吉本 勢
(1889年12月5日 – 1950年3月14日)
出身地:兵庫県明石市
とっても柔らかい表情が素敵な吉本せいさん。
男6人、女6人の合わせて12人兄弟の次女です。
両親はせいさんがまだ幼いときに
大阪に移り米屋を始め、繁盛します。
せいさんも店番をしてお手伝い。
小さなころから愛くるしかった彼女は
お客さんからも可愛がられていたようで、
商売繁盛に一役買っていたようですね^^
その後抜群の成績で小学校を卒業し、
米穀仲買人の島徳蔵方に女中奉公するのですが
愛嬌も良く利発で機転が利くので可愛がられ、
商法のコツを教えられます。
そんな小さなころから商売人としての
才能があったんですね~
せいさんの生涯を調べていると
書ききれないぐらいの出来事があるので
詳しくまとめてくれているサイトを
ご紹介したいと思います。
こちらから
⇒こちら
吉本興業ヒストリーはこちら
⇒こちら
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山口組との関係は?
「吉本せい」で調べているとキーワードに
「山口組」というのがあったんですね。
え?山口組って暴力団だよね・・
何か繋がりがあったのかな。ドキドキ・・
と思いながらどういうことなのか調べてみました。
明治40年頃、山口組初代組長の山口春吉は、
神戸の港に沖仲士としてやってきます。
春吉は持ち前の頑強な肉体と寡黙な人柄で人望を集め、
神戸にやってきて数年後、
沖仲士仲間を集めた労働者組織のリーダーとなりました。
これが後の山口組へと発展していくことになるんですね。
同じ頃、吉本興業も寄席経営を始めてから
10年ほどで上方演芸界を掌握するほどに成長していました。
そんな時、日々過酷な労働を続ける労働者をねぎらうため、
浪曲や漫才といった寄席を開くことを決めた春吉が
依頼したのが吉本興業だったんですね。
これがきっかけで関係は密接なものに
なっていきました。
吉本興業の東京進出にも山口組は尽力したそうです。
しかしながら現在は組織としての繋がりはないそうです。
こちらを参考にさせて頂きました。
⇒こちら
通天閣を買収?
・・ってゆーか、通天閣って買えるものなの?
単純にそんな事が気になりました。
しかしながら本当に買ってるんです!
昭和13年9月27日に、当時のお金31万円で
買収しております。
それだけ成功していたということだと思うのですが、
一体何の為に買収したんでしょうね?
ちなみに買収したのは初代の通天閣だそうです。
現在の通天閣が二代目ということも知らなかったです。
大阪の方は皆さん知っていることなんですかね?
初代通天閣は当時東洋一の高さを誇り、
ロープウェイ乗り場を台座部分に備えるなどして
奇抜な趣向で大いに人気を集めていたそうなんですが、
その人気も長くは続かなかったようです。
そんな事があって売却する事になったのかもしれませんね。
これは私の憶測ですが・・・。
繁華街として路線変更してからは
戦争の火災で消失してしまうまで
人気があったそうですよ。
まとめ
いかがでしたか?
吉本せいさんの事を調べていたら
思いがけず通天閣の歴史も知ることができて
知識が広がった気がします。
来週の朝ドラではどのように描かれるのか、
今からとても楽しみです^^
最後までお付き合い頂きありがとうございました!
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